新しい眼鏡で世界を見直してみる
今日は何年かぶりにメガネを新調しました。普段は使い捨てだけどコンタクトレンズを入れています。若い時はハードコンタクトレンズを使っていました。コンタクトでない時はメガネをかけているのですが、数年前に買ったメガネがなんだか合わなくなってそれは傷がついたからかなぁと思っていたんです。そして今朝息子が私がコンタクトを買いに行かなきゃって言ったら、メガネも買ったらってと言ったんですよね。そして眼鏡屋さんに行ったら2割引になっていたので購入することに決めました。
新しい柔らかいチタンのフレームが気に入りまして、ちょっと根が張ったんだけれども、レンズの方を安くしてもらって予算内で購入しました。その時に視力を測ってもらったんだけれども、数年前よりずいぶん視力が落ちていたんですよ。それでちょっとショックを受けました。
店員さんは、暗いところで経本何かを読まれるからかなぁとか、そんなことをおっしゃったりしましたが、私はとても老いを感じてしまい、また抵抗してしまいました。今日は特にちょっと風邪気味で風邪薬なんかも普段飲まないのに飲んだ位ですから弱っていたんでしょ昨日の病気平癒祈祷と水子供養がやっぱり、こたえていたようです。でも信者さんから朝連絡があって、旦那様もお地蔵様に手を合わせてくれていると言うことを言ってくださり、私はそれを予期していたので、本当に2人で喜びました。しみじみと本当に良かったなぁ。そして信者さんも元気になっていただきたいと心から思いました。しかしながらもちろんその嬉しいことがあったら、私の体には多少の負担が残ります。でも生きることってこういうことだと思うんですよね。私が元気だったらその元気を皆様に分けて差し上げることが当たり前のことですよね。私が弱ったときにはまた皆様から助力があるでしょうし、それが人間が助け合って生きるっていうことなんですよね。
薬局に行ってちょっと気づいたことがあるんだけれど、特に若い人たちが薬のオーバードーズの問題社会問題として蔓延しているんですね。心が空虚になってしまったときには、若い人はそんなふうにしてしまうこともあるんですね。若い人にお寺に来てもらいたいけど、なかなか敷居が高いでしょうし、それなら来年の八千枚護摩は、引き続き若い人が生き生きと生きられる社会の実現と言うことをたくさん拝みたいと思います。自分自身が元気でいないとこの業をすることさえできないから体に気をつけて自分を大切にしていきます。自分を大切にする事は、皆様への真心をお届けすることと同義なのです。