文章表現について

文章を書く仕事

弁才天秘法は、令和7年10月9日現在、115座となりました。

次から何が出てくるんだろうなと考えてみますと、やはり私の前職であるライターの側面がふたたび少しだけ顔を出してくるかもしれません。

ライターの現役時代から寡作のほうでした。3年に一回の出版とか、それは子育てと両立していたこともありますが、よく取材をしてじっくり書くという書き手だったのです。編集者からは、なかなか次作が出ないとき「もういい加減に出したほうがいいと思うよ」と言われたりしていましたね。

最近はまた、文章を書くことが楽しくなってきているのですが、職業は僧侶だから、拝むことが仕事。

なかなか執筆に集中して、というわけにいきませんし、法務についてや日々の活動については、いろいろと短文を書いてはいるのですが、長い文章は「作品」となるため、長い間書いていません。

でも弁才天さまは芸術・文筆も含むもの、神さまです。

この修法をしているのだからきっと何かの作品は作らされるだろうと思うのです。

弁才天秘法をこんなにも重ねているということは、少なくともそのときは弁才天になっているわけです。

こんなこともあった

僧侶になるときには、もの書きの顔については、そこには自然と入れていなかったわけですが、やはり私という人間にとっては大きなものなのかもしれません。

令和5年に理不尽な形で文筆にかかる圧力を受けたとき、たいへん傷ついて立ち直るまで1年くらいかかったことがあります。それにかかわった方々は、私がどれだけそのときに傷ついたか、想像されることもないかと思いますが、ひどい仕打ちであったからこそ、弘法大師お大師さまが私のところに来てくださって、ご一緒にお経をお唱えくださったのです。

根に持っているわけではないのですが忘れないできごとです。

そのときよりももっと自分らしく、大きくなって作品を著しなさいとお大師さまはおっしゃっています。なぜならお大師さまから言われて書いていた仕事だったから。それよりもさらに、もっと生き生きと広く伝わる仕事を。

そんなこともあって、いえ、そんなことがあったからこそ、わたしは自分自身にとって文章表現がとても大切なものとして自覚できたかもしれません。

そしてこれから、代表作といわれるものをきっと書くことになるんだろうなと思えます。そのときはどうか、邪魔をしないでくださいな。

人にはそれぞれ大切なものがあり、どんなことが人を深く傷つけるかはわかりません。

生きるということはそれだけで誰かを傷つけている可能性のあるものです。

なぜなら私たちは何かをいただかなければ生きられない「生物」であるからです。

そんなこんなで、前職のときは、仕事上で思い残すことはほとんどなくて高野山に移住したのですが、いまはすこし、きっと書いておかなければならないことがあると思えます。

そういうこともすべて、活力にして、現代の人々のこころに訴える作品を書きたいです。

傷とは、推進力へと転化できます。

僧侶の立場として書きたいと思っています。