お祓いにつきまして

未成仏のもの

信者さまのご依頼で、山林を一部伐採することによるお祓いをお受けしました。

ちょっと最初はいやな感じがしていて、案の定、前日にはかなり身体が重くしんどくなっていました。

当日の朝もそうです。

土壌に未成仏のものが多くいるとこんな感じになります。

まだ駆け出しのころは、祓い浄めや地鎮祭を頼まれたら、とても張り切って、自分の出番だのように思ってがんばって修法していましたが、いまは、内容を聞いたら、どれくらいの重さの案件かがわかるようになっているので、前のようにはいきません。

つくづく、ビギナーズラックとか、初心者の純粋な心で行うことが成果が上げられるというようなこともよくわかります。

とはいえ、わたしはこの道のプロとして、自分のところに来た案件には真摯に取り組むことは変わりません。こころの準備をしっかりして忘れ物をしないように現場に向かいます。

お次第は案件によって考えていくのですが、だいたい土地を拝むときには適したお経があって、それを中心に、あとは現場の拝み始めた感覚で決めていくのが常です。

光の射すとき

最初はどんより、暗かった現場。修法を進めていきますと、突然明るくなる瞬間があります。大日如来さまがおりてきてくださったと思えるほど明るい光がさしてくるのです。

そのときが一番うれしいですね。

今日はやはり最初はかなりきつくて、未成仏のものに囲まれておどろおどろしい感じで存在しているように感じ、一生懸命に拝みながら成仏の光の道へいざないます。

とちゅう、弁才天さまの眷属の大きな巳神が表れてくださり、わたしは尊崇する弁才天さまが応援にきてくださったと思ってうれしかったです。

魂をこめて拝み続けますと、ひかりがさしてきて、あたりの空気がとてもやわらかくなりました。

施主さんもそのような明るい感じを同じように感じてくださったようでした。

終わった後、ずっと重かった肩や背中がとても軽くなっていました。

やはり、未成仏のものたちは、私が拝む前からそのことを察知して、先に私のところへ来るのだということがわかります。

お葬儀などのときもそうなのですが、お上げする御魂には、導師との結縁をしてから上がっていかれるのです。

頼ってくださり、それにこたえて誠心誠意拝ませていただくことは、とてもやりがいのあるお仕事です。

今回は土壌に観音経を書写したものを観音さまに長くお供えしていた紙を土地に埋めました。

終わったあとはとても元気です。