現行の結婚制度について思うこと
今朝、1月14日ですが、現行の結婚制度についてのアイデアについて発言しました。
「多分少なくないひとが、意識するしないに関わらず、潜在的に気づいていることであるのでしょうが、現行の結婚制度というものは、総論としては、人間をしあわせにするものではないかもしれませんね…」というものです。
これについて少し補足したいと思います。
私は事実婚・制度婚含めて2度の別離と、仏道修行に入ったこの十年間の中にも一回の婚約解消を経験しています。若いときの事実婚の相手とは連絡をとることもないのですが、どの方のことも、嫌いではありません。分かれのときはそれなりに感情的なしこりがあったのですが、いまとなってはよい思い出となっていたりもします。
そういう自分自身の経験とは別の次元で、日々、信者さま会員さまの人生相談をお聞きしている立場から出てきたアイデアです。
人が誕生し繁栄していくことは人間として現世における最大のよろこびの一つには違いないけれど、どうも、この「結婚制度」というものは、人生全般からみたときに、個々人をしあわせにするどころか、仏道的にいえば煩悩を深めることになったり、仏道ではなくてもよけいな思い込みや対立・分断を増やすだけで、魂の成長につながっていないケースが多いのです。人にはいくつもの貌がありますし、またいまの時代は早すぎて、一度獲得できたアイデンティティが一生続くということははっきり言ってありません。
いまの結婚制度は、日本が先の大戦に敗けて、そこからアメリカの力を得て国として復活をめざすときに、適していた形の残影です。
男性が経済社会においてこころゆくまで仕事に専念できる形。銃後にはひとりの制度にまもられた妻がいて、その妻が男性のお世話をすることで、国と家庭が連携され、経済活動が成り立っていたころの制度です。そこにはいくつものからくりや秘匿もありました。
対していまは、男の子は草食男子とよばれる人たちも増え、かならずしも「結婚したい」と考える若者たちも減り、「子どもはほしいけど、もったとしたらリスクが高すぎる」と考える人たちも増えてきました。
もちろんいまは転換期だから、結婚制度だけでなくさまざまなものについて揺らぎが生じますが、結婚制度というわたしたちの生き方の大事な部分を支える制度にさえ、もはや修正というより抜本的見直しが必要なところが多々でてきています。
ダライ・ラマ法王の考え方
思えば私が尊敬しているダライ・ラマ法王14世は、結婚していませんが、結婚について懐疑的なご意見を述べられています。僧侶はもともと結婚するものではないので、法王様のご意見は変わったものではないと思いますが、結婚をすることで人々は苦しみを呼び寄せているということです。
わたしはこの記事を読んだとき、目からうろこ、
なぜなら私が相談をきくときは、信者様相談者さまの「結婚している」ということをまずは肯定的にとらえてそこから解決を導きだすということをしてきたからです。そりゃそうですよね、一般の信者さまに対し、まず離婚をすすめる僧侶なんてちょっとね・・・
でも、話をよくよくきいていると、そうしたらいい件もありますし、合っていない結婚を続けることより、思い切って断つことで、新しい人生を歩みだすことができ、健康やもっといえば命も担保できることだって少なくないのですよ。
いのちが一番大事ですね。与えられた寿命を生ききることにより、縁あった魂を成長させることが私たちに課せられただいじなことです。
その中には、「必ず添い遂げなければならない」という永遠なる関係性についての言及はご神仏からはないのですよ。つまりそれも思い込み、ということですね。現世は思い込みによって成り立っています。