事情のあるご供養のご相談につきまして
仏壇おひっこし
年末に百箇日のご供養をなさった信者さん宅で、古い家の旧仏壇から新しい家の新仏壇へお位牌をうつすというちょっと複雑なおしごとがありました。
その際には、古い家の仏壇は10年くらい拝んでいなかったということでしたから、前拝みも含めて念入りに行うと、最初のほうでごおっつと引き戸が揺れて大風が吹き、これでいったん宿っておいていただく御瀧まですぐに行ってくれたことがわかり、ほっとしました。
じゅうぶん修法や読経をして、おえて、施主さんと向き合ったとき、「大きな風で引き戸ががたがたいっていましたね」といいますと、どなたも聞こえていなかったとのことでした。
午後から新しい家でさらに御魂を戻してくる修法を行いました。古い仏壇からもってくるものはもってきて、真新しい仏壇にきれいに荘厳されました。
こちらはあまりにも静かにお戻りなさるので、「のどがかわいていて、いくときはダダダといかれたけれど、帰ってくるのはゆっくり静かに帰ってこられましたね」と申し上げました。
御霊の思いをくみながらおこなうこのような供養はわりとよく依頼されます。
「事情のある、ちょっと複雑なご供養」といっていますが、御魂のお気持ちを汲んでいくということが第一義となるため、そのお役をさせていただくわけです。
今回は、古い仏壇がきれいに片付いたし、新しい仏壇が美しく荘厳されたので、ほっとしたところです。これから、初盆までに少し間がありますが、御魂のご要望があれば、ご家族を通じておりてくるでしょう。
成仏の御瀧にひきよせられて
それからもう一つは、令和7年初のご供養もまた、ご依頼のもので事情のあるものがありました。
これは私の親しい女性が運んでこられたもので、宗派はちがいますが、尼僧さんのご供養でした。
まだ四十九日も経過していない状態で、うまく成仏の道筋にのっていけるよう、いのりましたが、まだご本人の理解が進んでいないようにみえました。それでも光がさしてきましたので、なんとか道を見つけてくださることでしょう。
一年ほど前から、経緯をいろいろと相談にのってきていましたので、お会いしたことはないけれども、気になっている方でした。その方がお亡くなりになったということで、ご縁があり精一杯ご供養させていただきました。
尼僧さんのご供養はときどきあります。尼僧さんがいろんな思いをもって生きてなくなっていくその姿をわたしは追体験し、ご縁ある方の依頼によってご供養をさせていただく流れです。肉親でもなく家族でもない方が依頼されて、わたしのところへ届いて、成仏の瀧からいかれるというこの構図をみるとき、ここのシステムは類まれなるものだと思わざるをえません。
わたしを忘れないで
そして書きながら思い出したのですが、年末にも忘れられたお位牌のご供養がありました。こちらは作春にお葬儀をわたしでさせていただいた方なのですが、その方の遺品整理がおわるころに、忘れられたお位牌が一柱出てきて、こちらの供養をご希望されました。紛れ込んだお位牌が、時間がたって主張をしてこられるということは、こちらも珍しいことではありません。ご供養さしあげると、そのあとから解決してほしいという課題が浮き彫りにされてくることもあります。
年末年始はこのようにわりと重めのご供養をしながら、病気平癒祈祷もしながら初詣対応を行っていましたので、わたしもキャパをいっぱいに使って生きていました。
ご神仏がおられますので、最終的には護っていただけますが、わたしももちろん祈祷者としてたくさんのエネルギーを使います。
映画『女神の継承』
そんなこんなで、すこし疲れたとき、タイの東北部を舞台とした映画「女神の継承」に見入ってしまいました。自然物すべてに精霊が宿るという信仰のなか、かつての首切り族の怨恨が現代に揺り戻され、魂たちが再生をもとめるという物語のなかで、巫女らが必死に祈祷を重ねますが、最終的に祈祷祭の前日に彼女は召されてしまい、祈祷ができないというということがあります。
映画になったらホラーなのですが、これは魂の活動の一側面となります。
タイの東北部の自然がたいへん美しいので、さらにその悲劇が浮かび上がるというよくできた映画になっています。