楽しみなフィールドワーク

研究再開~大学院時代を振り返る~

研究(とりあえずはフィールドワークですが)を再開することになり、きょうは息子と(私が)大学院2回生のときの思い出話をしました。息子自身は、当時、小学校4年生。

いまだからいえるはなしだけど、当時私は歳はいっていても大学院生だったけど、むすこが毎日、小学校(旧)のとなりに位置する大学図書館に帰宅するので、「佐藤くんのお母さんは大学の職員さん」というふうに思われていたとか。もちろん職場(町の産業観光課)にも出勤はしていましたが、業務委託形態だったので、とくに修士論文を執筆しているときは大学図書館にいて、閉館(当時は8時)まで粘ることも多かったのです。

息子は、学校から帰ってきたら習い事に行って、それが終わると連絡があり、おむかえに行って一緒に帰宅するという形。ときには図書館の中に飲食できるスペースがあったので、そこで夜ご飯を食べることもありました。そんなときの息子はわたしの金魚のふんのようであったのか(表現適切かはわからない)「いつも妙泉さんのうしろに連れてたなあ」と山内の知人は異口同音にいまでも回想してくださいます。本屋さんは「いつもコロコロコミックを買いにきてくれていたなあ」と。

そんな話を夕食時つらつらとしていると、むすこは「もう7年位前のことなんだよね、最近のことみたいだなあ」と言います。

それはどういうことかというと、私たちの9年間は、ふつうの9年間じゃなかったということなのかな。東京埼玉にいたころとほんとうにずいぶん変わりました。

わたしのうしろに隠れるようにしていたという息子は、今や、わたしより当然のように背丈がのび、高校2年生。3000m級の山々も行けるほど小さなときと比べると体力もついて。。。

研究もする僧侶に

ちょうど彼の高校卒業時が高野山移住10年になるから、あのころ、町役場の職員さんが「10年くらいは高野山に住むんでしょ」と言ったとおりになります。

過疎化が進むこの町で、縁がありむすこと二人移住して、新しい生活を懸命に築いてきた、そのなかにはやりたかったこと「大学院で研究をしたい」・・・夢がかなって2年間は自由に学ばせてもらえる時間があったことは、わたしの人生のなかでキラキラと輝いています。過去現在未来は三角錐です。

仏縁を得て密教寺院の住職となり、やがて自然とそれが自分の仕事になった今の私には、あのころの面影はほとんどなくなっているかもしれなけれど、思いは残っており、研究者としてではなく僧侶として世界を訪れることができるようになっています。研究もする僧侶です。

そして今回は置き忘れていたフィールドワークがむこうからやってきてくれました。

人生悔いの残らぬよう、そう思って生きているから、ここもチャンスを逃さず全力投球できっと次のとびらが見えてきます。

私の縁あった祈祷寺院の功験はすばらしく、わたしが頑張ればわたしの夢をかなえてくださいます。

「ことしも一年間よくがんばった。おまえの好きなことをやってきなさい、で、またかえってきて、お寺のために尽くしなさい」ちょっと早いし、まだ出発まで間があるから、それまでいくつかの大きな仕事もひかえているのですが、ささやきでそんなお声がきこえます。スムーズに道が開いていけば、実現は近いでしょう。一回のフィールドワークで新しい論文が書けるかどうかはわかりませんが、得たことはすべて信者さまに還元するようにしたいと思っています。