令和6年9月9日のこと

御影供

重陽の節句の弘法大師御影供が無事おわりほっとしております。

これはほかの住職さまがたが、声明と理趣経をお唱えいただいている間に、担当に当たった寺院の住職(ほんじつは私になります)が導師として法を修します。

もう四年目。一年目はほんとうに緊張していましたが、ぶなんにまとめることができるようになりました。しかしながら、一年目や二年目のほうが高揚感があったように記憶しています。

同じ組の先輩の庵主さんが道に迷われて、おいでになれなかったのは残念。

とてもよい形で拝むことができたのは、来寺いただいた住職さまがたのおかげさまです。

法要のあと、すこし雑談して住職さまがたがお帰りになり、大きなおしごとがすんだねとほっとして、近隣にすむ信徒総代さんらとランチミーティングをしました。いろいろ懸案があります。

きょうは少し勇気を出して「住職として総代さんにこんなことをしてほしい」「いまのお寺の状況はこんなだ」というふうに本音を話せて、また聞いていただけて、これもお大師さまのお見守りがあってこそかなと思いました。

片付けが苦手なのと、古いものを捨てられないので、ごちゃごちゃしがちなのですが、一人の総代さんが法要の間にきれいに片づけてくださったのが驚きでうれしかったです。

またお二人ともとても大事なご縁のある方なのだということがわかりました。

しかしすべて住職であるわたしの決断や意識にかかっているといわれて、甘えてはいられない、とも思いました。互いに耳の痛いご意見もいいあいます。

そうこうしていたらやはり近しい信者さんが大阪の方々をお連れでおまいりなさいました。法要のことやランチミーティングのことを話すと「ミョウセンおたすけライングループをつくろう」といってくださり、これもうれしかったですね。

三石不動は個性あるあたたかい女性たちがあつまっていて、その周囲にやさしく理解ある男性たちもいる。そんな構図が浮かび上がってきました。あっというまに16時になり、帰り路にはみなさんがいらしゃることに感応し、涙がでてきました。高野山につくと知人に出会い、ことの始終を話し、「よかったね。がんばってるね」といっていただきまた嬉しさが倍加しました。

秋の集中祈祷へ

懸案の拝みを行っていこうと思います。

満州事変の兵士の慰霊をしなければなりません。

急ぎではないまま棚上げしている供養も順に行っていこうと思います。

来週には延期になっていた高野山リトリートも開催しますし、秋でお客さんは多いですが、9月後半~10月16日にかけて時間をとり、慰霊をきちんと行っていきます。

三石不動は拝むための寺。成仏もすぐにかなえられる霊場です。

9月18日は聖観音さまご縁日、

9月20日は横笛サロンでの十一面観音ご縁日、

9月22日には彼岸の中日ということで、事情のある供養も行っていきます。

遠隔祈祷もいたしますので、ご相談ください。

大好きな秋にステップアップができる状態になりました。

そして帰宅後はとっておきの情報も届いていました。

うまくできています。生きるということはみずからの魂を成長させることです。

何度目かのスタートラインです。