三ツ石の神域のこと

不退転の決意…?

きのう令和6年6月23日は山田の下のお寺を拝みました。

江戸時代には、お不動さんは上のお寺(ご祈祷)下のお寺(ご供養)と

わかれていたのだろうなと思っています。

地図には、上のお寺は「大師堂」下のお寺は「不退寺」と記されています。

不退寺の字名は「三ツ石」です。

大師堂はさらにさかのぼると「不動堂」でありました。

現在は、「宗教法人三石不動尊」として登録してありますのは

上のお寺のみです。しかしながら、尊域・霊域としては

御瀧へ行く道すがらの大威徳明王堂も含め、一体のものとして

考えていくのがよいのだろうなと考え、

要請があれば拝ませていただいております。

御霊は「こっちも拝んでほしい」と懇願されるものです。

この日は、祝詞も用いて、阿弥陀さんの法にて拝みました。

みなさまのお悩みに合わせて、拝む方法がいろいろとありますので

遠隔ご祈祷をご希望されるときには、なるべくくわしくお話くださいね。

また、夢判断というものがあり、ご相談に活用しています。

夢判断については、はやりのスピリチュアルではなく日本の古神道にその考え方あり、

また密教的には、ダライ・ラマ法王もおっしゃっていたことです。

易占について

三石不動尊の前身である三石山不動寺の前々住職(男性)は、日本古来の占術である易占を行っておられました。

それにより、名づけやよい方角や増築や改築によいときなどを占います。

単に吉凶を知り伝えることだけではなくて、

その神髄は、「どのように行動したら神意に適うか」「それにより凶を吉に、吉を大吉に転換していく方法を知る」ということがあります。

この住職がとても大切にしておられたのが、手水鉢なのです。

ときどき私が白菊などを浮かべている鉢で、熊鷹大神社へ歩くときに浄めるための手水でもあります。

大明神の御瀧は、400mほど歩いた三石山の中腹にあり、大きな神が鎮座されています。

この御瀧の神水をおろしてきたのがこの手水鉢、龍の口からお水が出ています。

「この手水鉢はこれ自体が神様なんだなあ」とわかったのが令和6年6月19日でした。

そして、経年劣化が土中の管で起こっているのならば、水の循環をあらためて考えていこうと思いました。

慰霊碑の建立

もう一つは、令和6年6月21日にゆかりの行者さんとお話して、はっきりと気づいたことですが、わたしが入寺して以来4年間に永代供養に入られた方々の供養塔を、現在お寺にある貴石を使ってつくっていくということに取り組んでいきます。

こちらも、ご遺骨(ご遺体)は埋葬する(土にかえす)ことが日本仏教においての伝統ということを前提としたうえでの、善処となります。

さらには境内に鎮座される伏見稲荷大社の分祀である熊鷹大神社の新神殿増築ということが課題となります。これがうまく運べば、この地の神仏習合の輪郭がはっきりと見えてくると思っています。

6月30日には夏越しの大祓のご祈祷を行い、半年間を総括し、さらに大きな転換期に備えていきますので、よろしくお願いいたします。