高野山時報(令和5年1月1日号)

年中行事の大切さ

佐藤妙泉

 ここ2年、恒例のように、廃寺復興の話題を書かせていただいています。弘法大師ご誕生1250年の令和5年は、三石山不動寺(以下、三石不動)にとっても3年という大事な節目に当たるため、引き続き復興の進捗状況についてお伝えしたいと思います。

 三石不動の一帯は794年以来の歴史がありながらも、後継者がなく廃寺となっていたのですが、その折でも橋本市・かつらぎ町・九度山町、また近接する大阪府、奈良県の比較的広い地域に、信仰する方はいらっしゃいました。昭和初期は200人の信者を数えたと記録されており、現在でも先祖代々信仰する方もあります。高野山麓における奥之院のような位置づけの場所で、古来、水のあるところに御霊は集まるといいますが、三石不動ではご神体である御瀧に霊魂が集まることがわかります。

慰霊の潤いと歓び 三石不動の年中行事のうち、5月3日はもともと重要な日でした。かつては厄除祭にて、餅まきや会食などが行われてきた山ノ神の日です。この日を現代的に解釈して、毎年、テーマを決めて慰霊祭を催すことにしたのは令和3年からです。令和3年には列車事故の慰霊、令和4年には隅田一族とくに武士の慰霊を行いました。

慰霊祭が終了した後、隅田一族の末裔にあたる信者さまが、秋の彼岸にお墓まいりをなさり「春先から三石不動で供養をしていますが届いていますか、その場合わかる形でお答えください」とご先祖におたずねになったところ、すぐに一族のひとりの女性が三石山(738.6m)に登頂したということでした。その女性はふだん山登りなどはしないのですが、このときに限り、「何かわからないけど登った、道なき道もあったけれど頂上まで行けた」ということです。これをご先祖からの回答とするのかどうか、ご報告に来てくださった信者さまと一緒に三石不動本堂でご一緒に拝むとたいへん気持ちがよかったわけでした。

寺院復興とは何かと口でいうのはたやすいですが、お寺と住職、信徒さまとのこのような物語が一つひとつ紡がれていくことで成るのかもしれません。

 御霊あげは僧侶の悉地をひときわ上げるとその道ではいわれます。やはり著しい変化は、隅田一族の慰霊が始まった3月初旬から始まりました。まず、本堂の天蓋部分が少し本尊とずれていたので補修工事を行いました。続いて4月に、境内の古民家を活用した簡易的な護摩堂ができました。2年来、屋外に毎回壇を出して修していた護摩供を屋内で執り行うことができるようになりました。同時期、本堂には秘仏として緑ターラ尊を勧請しました。新しい立派な寺院看板が2か所に設置され、5月初旬には境内全域に幟旗が立ちました。中院流聖教全巻がご寄進なると、展開ははやく5月末には八千枚護摩の伝授を受ける運びとなり、条件がそろえば、三石不動で行じることができるようになりました。

大火のご供養の力 次の契機は8月15日でした。御施餓鬼法会のあと、境内で送り火を兼ねた恒例のお焚き上げ法要を営みます。今年は護摩堂に変身した古民家の古い扉や信者さまのひな人形などご供養する大きなものが多く、「小屋がひとつ燃えるくらいの火」(信者さま)になりました。保存しておこうかと思った古い看板も、先代の安心のためご供養することにしました。施餓鬼で新仏さまの供養をなさったご遺族方の中には「このような大きな火のお焚き上げは初めてみた」とおっしゃる方もおり、僧侶や行者を含めたたくさんの方がおまいりなされ、大きな動きが起こりました。

不動、地蔵、観音の仏像3体のご寄進が決まったのはその後、8月28日、お不動様のご縁日のことです。そうすると、かつてそれら仏像が負われたお役目、戦没者供養の要請が、三石不動住職である私にうつり、9月は集中的にその期間にあてることになり、一つの節目を超えた10月16日(明神様の日)にぶじ、仏像の引っ越しが実現しました。うち不動明王像は護摩堂のご本尊として4月にできたお堂に入られました。

同時期、三石不動に残っているもので最古と思われる不動明王のお軸を新たに表装・額装を施し、積年の風雪に耐えられるように補修しました。同根のものが集会するように、観音三十三霊場の散華をあしらった屏風やチベット古寺の生写真、花梨の木の座卓などが次々とお寺の文化財の仲間入りをしました。三石不動を大切に思う方々の御志による変化に、住職として柔軟に対応していく一年となりました。

速疾なる秘仏の力 秘仏である緑ターラは、観音菩薩の左の眼から流れた涙から生まれた仏です。観音さまが、衆生を救いきれないとお嘆きになったとき、流された深い深い慈悲の涙です。「任せて」とばかりに生まれて来られたので、速疾なる功力が望めます。教相面では、自分自身の大学院時代に、志しながら途中になっていた密教の女神の研究を再開しました。まだ本格的に拝んではいませんが、事相面でもこれからが楽しみでわくわくします。たくさんの仏神が集会する場所に、信徒さんが集い、寺院は構成され成長していくものであることが理解できます。引き続き応援をお願い申し上げます。