高野山時報 令和七年 新春合併特集号

慈悲と平和のプログラム

三石不動尊住職 紀州高野山横笛の会代表 日本ペンクラブ国際委員

佐藤妙泉

令和七年は、私ごとになりますが、高野山に移住して十年目に当たります。祖師のお導きにより息子と二人、ここに住むようになって、さまざまな不思議なことがありました。はじめは、観光と地域振興の仕事(高野ブランド創出事業)に三年間従事させていただくことで赴任しました。三年間と決まっていた任期が終わると、私の娘の住んでいる大阪などに行って、また編集の仕事をするのかなと漠然と考えていましたが、三年目に当時の上司から「僧侶の資格を取ったのなら、それを生かして高野山で起業したらどうか。人を癒すような、たとえばだけど、アロマなど考えられるのでは」とすすめられ、ふだんぶっきらぼうな方の口から聞かされたこの言葉が、なにか仏神からのご伝言のような感じがしたのでした。

それから、自分自身の気持ちはまだ心もとないままに、定住と起業のための計画書を書くことを少しずつ行い、約十か月かけて完成させました。それが「紀州高野山横笛の会」です。当初、おもな事業は「天野と高野をつなぐ事業」で、神仏習合の復興のための各種活動をしていくというところにありました。少なくとも五年間は高野山内で住んで仕事をしていく契約です。

主たる事業のほかに、高野山大師堂さんのご協力も得て考案した「香と瞑想&ヨーガワークショップ」(これは胎蔵大日さんに具体的な方法を教えてもらった看板講座でもあります)などの楽しめる文化講座を来山者に提供したり、また出張講座としても各地で実施して弘法大師や高野山に親しみを持ってもらうという計画もありました。

一年目で一番大きなイベントは和歌山県が行った「和歌山県人会世界大会」での講座でしょうか。香の護符おまもりがはじめて海を越えて、持つ人の幸福を約束するということにおいて、記念すべきおしごとになりました。

令和元年は計画どおり、天野と高野をつなぐ事業に力を入れていましたが、令和二年になりコロナ禍の発生で、たくさんの人を集めてのイベントを行うことが難しくなり、少人数でも行える高野山内でのサロン活動に急遽、舵を切りました。高野山に観光参拝の方が激減した時期には、高野山内の事業者さんがかわるがわるサロンに集ってくださり、お茶を飲みながらお話をしたり、ご希望があれば健康や商売繁盛などを横笛の会のご本尊(十一面観音)にご祈願したりもしていました。

やがてコロナ禍が明けると、看板講座「香と瞑想&ヨーガワークショップ」以外ではリトリートや高野山のおすすめスポットめぐりに人が集まるようになりました。各所ご希望の参拝に同行してご一緒に祈ります。また、令和四年からは相談事業にも力を入れるようになりました。ご相談をお聞きしてご祈願するということを十一面観音さまのご縁日などで行っています。

直近では、チベット僧侶をヘッドとする団体を受け入れ、看板講座といのりの会を修しました。いのりの会は、高野山の師匠のお寺にもお力をいただき、ミニシンポジウムも行い喜んでいただきました。インド・チベット仏教文化を紹介することにも力を入れています。

思えば横笛法尼は私が僧侶のしごとを初めていくとき阿弥陀如来さまを通じて「本当の横笛像を伝えてほしい」とおっしゃったことがあります。横笛法尼はか弱い女ではなく、当時、時代の先端を走っていた尼僧さんであったのだということを。

思えば日本で初めての僧侶はこれも善信尼ら二人の尼僧でありました。仏教では、転換期には尼僧が特徴的な働きをしていきます。

横笛の会でこれから行いたいことは戦争をなくしていく国際平和のための交流活動です。香と瞑想&ヨーガワークショップは国境を越えて楽しんでいただける慈悲のプログラムですので、これからも大きく広がってくれることを願っています。(和歌山県高野町)